栗生流 謡いの源流を訪ねて
厄払いの行事と謡、お囃子、わらべ歌等
団子さし
一月十四日には「団子さし」という行事があった。「小正月」「女の正月」などと呼ばれ、ミズキの枝に団子を挿し、神棚などに飾る。
栗生では、雪の降る前に山から直径十五㎝で三mほどの大きなミズキの木を伐り出しておいた。それに団子を挿して、土間の「臼持ち柱」にくくりつけ立てた。
また、縦横九〇㎝程度のドウダンツツジの枝に、一㎝四方の小さく切った色の着いた餅や鯛や小判、俵の形のもなかなどを挿して、神棚に飾った。
さらに豊作を願い、「食」にまつわる、かまど(かまど神)、囲炉裏、台所などには、アワを搗いて直径十㎝ほどの平たい楕円形にまとめたものを、栗の木の三つ又の枝先に挿し供えた。これは「アワ穂」と呼ばれ、米が贅沢品であり、飢饉も多かったことから、長期間保存が可能なアワが、人々の命をつなぐ主食であったことが伺われる。栗生の古い家では、近年まで、囲炉裏の上に何十年と、アワを入れた俵が保管されていたという。
これらに使われた餅は、一月二十五日?二十八日?頃??揚げ餅にされて、子どもたちのおやつになった。乾燥してカラカラになった餅は保存食としても重宝されたに違いない。飾って楽しい、食べて美味しい、団子さしの行事である。さらに興味深いのは、栗生では、この時団子を茹でた汁を独特の方法で撒いた点である。
団子を茹でた汁は、男性が二人掛かりで屋敷内の実のなる木(柿、桃、梅、すもも、お盆用の小さな梨など)のところへ行って、「なっか、なんねか、ならざら切っど!」と一人が掛け声を掛けながら木の根元を斧や鉈で切る真似をし、もう一人が「なり申す~」と応え、茹で汁を根元に少しずつ掛けて回った。
一月十五日の朝は、「あかづっけ(暁粥)」と呼ばれる、小豆入りのおかゆを男性が作った。この日は男性が大忙し。早起きをして「やへやへ」から帰ってきて暁粥を作り、神棚にあげて拝んだ後下ろして女性たちを起こした。年越し、正月で疲れた女性たちを労うこの暁粥には餅も入れられた。
この小正月の小豆粥は多くの地方で見られ、赤いもので邪気を払うという風習が一般的とされる一方、小豆の赤は女性の月経の象徴、米やもち米の白は精子を現しているという説もある。
一月十五日の行事は、新しい年に、「五穀豊穣」を祈願し、稼ぎ手を多く生み出す「多産」を願って一連の行事を家族みんなで行うことが、一家の安泰につながっていたことは間違いない。