栗生流 謡いの源流を訪ねて
栗生流とは
栗生流命名の理由
「栗生流小謡 」準元本「栗生流命名之理由ヲ記ス」より
当区ニハ大蔵流ト喜多流トノ二派アリタリ、然ルニ当区ニテ祝儀等ノ節ニハ二派ガ一諸ニ謡ヒ合ヒ、相互ニ合セ合ヒテ謡ヒタルニ、何日シカ何レノ流儀トモナラヌ謡ヒトナリ、誰人カニ何流ナルヤト問ハレテモ答ヒ得ル事出来得ズ。茲ニ大正四年当区於謡習ヒノアリシ時、初メテ改流儀之必要ナル事ヲ感ジ、翌々年大正六年改流ヲ決心ス。
時ニ甚右ェ門先生ノ門人ノ大蔵流ノ人ニテ下組之人、庄子三四郎老アリ。庄子忠四郎先生ト自分(自分トハ筆記シタル庄子源之助)ト相談ノ上、大蔵本流ニ改メル事トシテ庄子三四郎老之御意見ヲ求メル処、種々之事情等アルニヨリ、栗生独自之流儀トスルヲ当然ナリトシテ、栗生流ト命名ス。
庄子忠四郎先生ヲ開祖トシ、庄子源之助相助力ス。庄子三四郎老ヲ顧問トシ、源之助ガ忠四郎先生ノ直門トシテ、将来師事タル事トナリタリ。大正六年作製シタル元本、紛失シタルニヨリ、昭和十三年改本シ此書ヲ以栗生流元本ト定メタリ。
折物モ庄子三四郎之師事ニヨリ、栗生流ノ折物ト定メタリ。
三四郎老ハ苦心シテ栗生流為尽シテクダサレ、御自身ニテ署名捺印シテ下披レタモノナリ。
準元本庄子源之助 印
準元本掲載の謡
- ・養 老 (祝言)長生の家にこそ
- ・難 波 (祝言ー納)げにや津の国の
- ・高 砂 (祝言ー名所)高砂や此浦ふねに
- ・高 砂 (祝言)ところは高砂の
- ・弓八幡 (神事ー上棟式)桑の弓とるや
- ・月宮殿 (祝言)庭の砂は金銀の
- ・高 砂 (祝言)まさ木の柱
- ・高 砂 (接待を受けた者)
- ・弓八幡 (神事)松高き枝も
- ・老 松 (神事・祝言ー春)かよふに名高き
- ・老 松 (神事 嬉しきかなや
- ・玉乃井 (祝言)長き命をくみしてる
- ・田 村 (祝言ー春)
- ・春 榮 (祝言)なほよろこびの
- ・弓八幡 (神事)四ッの海波静かなる
- ・老 松 (祝言)鶴亀の
- ・高 砂 (祝言)
- ・高 砂 (祝言)千代も変わらば
- ・弓八幡 (神事)いまもみつめる
- ・竹生島 (名所)緑樹陰沈んで
- ・加 茂 (道中記)汲や心もいさぎよく