栗生流 謡いの源流を訪ねて

下層ページヘッダーイメージ
ホーム| やへやへ

厄払いの行事と謡、お囃子、わらべ歌等

やへやへ

一月十五日の朝、各家の氏神様の前の広場に、モミの青い枝を切って一.五メートル位積み、杉の葉の上に、マメがらなどを載せ、火を付けて燃やした。高さが一.五メートルであるから、直径もその程度の大きさになり、かなりの勢いで燃えた。この作り物は、「お背戸」と呼ばれ、今の「どんと祭」にあたる役割を持ち、その火で、注連縄やお正月飾りや古いだるまなどを燃やした。

栗生地区で言うと、現在の鬼子母神、薬師堂、稲荷社(西舘跡)、オシラ様、地蔵堂、さいの神(道祖神・おさいし様)、大六天などがその場所であった。当時は、今のように家が多く建っていなかったので、村のあちこちから天高く立ち上る炎や煙が見えた。

そして、この時、川を挟んで「やへやへ」と対岸に向かって声をかける風習があり、それが、この日の行事の名前、「やへやへ」の由来である。

大声で掛け声を掛けるのは、害鳥から穀物を守る「鳥追い」の意味があるようだが、栗生の文句は面白い。「上下の奴めら、納豆鉢かぶってやーへやへ」と斉勝川の向こう岸に向かって叫んだらしい。その頃は、栗生と上下(現在の落合地区)は対抗意識があったのか。農作業を生業の基本にしていた当時の村人にとって、連帯感の強さと外部に対する競争意識とは、表裏一体であったのかもしれない。

なお、仙台弁メモ(名取市近辺版)というサイトによると、「やへやへ」は「やへやへほー」という掛け声で、どんと祭(一月十四日深夜)に帰る正月の神様が帰り忘れないようにするおまじないだということで、家ごとに掛け声は微妙に異なっているという。

「どんと祭」と「鳥追い」が一緒になったようなこの行事が終わると、春へ向かって田畑の仕事がいよいよ本格化する…。そんな意味があったのではないだろうか。