栗生流 謡いの源流を訪ねて

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栗生流とは

栗生に残る謡いの教本

  • 【謡】・能、狂言、またはそれに近い芸能の歌唱。特に能の謡を謡曲という。
  • 【能】・古典芸能の一つで、一種の歌舞劇、楽劇。能楽ともいうが、この場合は狂言をも含む。これと区別して能と称するのが普通。
  • 【歴史】・現在の形として成立したのは十四世紀後半から十五世紀で、南北朝から室町時代。先行芸能は田楽、猿楽、呪師。
  • 【流派】・能は[立方][地謡]囃子の三部から成る。
         シテ、ツレ、子方、ワキ、ワキヅレ、アイの各役
        ・能はシテ中心で、シテ方はシテ、シテツレ、子方、地謡、後見
        ・現在のシテ方
栗生に残る謡いの教本
  • 【分類】
    ・本文の現在は約二〇〇〇種、現行の上演曲目は約二四〇種あり、内容によって五種類に分けられる。
  • 十七世紀に江戸幕府の式楽に定められてから、一日の上演曲目を種類の違う五番立てにするようになる。
  • ・神〔初番目物〕 男〔二番目物〕 女〔女物〕 狂〔遊狂 物狂〕 鬼〔異形〕といわれる。間に狂言が入る。現在は五番立て演能はなく、能三番と狂言一番の編成。
  • ・初番目物は現行曲目三十九番あり、代表的なものに高砂弓八幡 養老 鶴亀 竹生島などがある。主として前シテにおいて神の縁起が述べられ後シテは神体を現して神舞を舞う。
  • ・二番目物 修羅物ともいう。現行曲十六番あり、そのうち「巴」(巴御前)、「田村」(坂上田村麻呂)以外はすべて源平の武将を扱う。
  • 【台本と作者】
    ・台本は室町時代は能本と呼ばれていたが、後に演劇台本よりも音曲台本として扱われるようになり謡本と呼んだ。
  • 世阿弥自筆の能本のほかに写本〔車屋本、光悦本〕がある。
    謡曲は「謡い物」で、韻文体の主として七五調の句。
  • 【能装束】
    ・「着付け」下着(現在の着物)表着 袴 白足袋他

栗生流謡の伝承

1.時期・期間

①いつ頃まで 昭和35年頃まで

②12月頃〜正月〜2月、午後6時〜9時、十日間位

2.方法

①指導者 庄子源之助(村会議長)、庄子忠四郎、庄子文男、庄子正一、澤口廣雄

②部落の長男(家督)、(青年団)十人~十五人 一丸会(長男)は後設立。昭和四十年

③方 法 先生が謡い、それを復唱する。一人ずつ謡う。

謡上げの場と曲目

1.結婚式(謡上げは係三人)

○式場での「熨斗上げ」「御口合わせ」の後

・四海波(高砂)一人が一小節を謡った後、係の者三人全員で謡う。

○「大盞」の後

・長生の家にこそ(養老)・なおよろこび(春栄)

○「床入り」

四海波(高砂)・長生の家にこそ(養老)・(玉乃井)長き命をくみしてる(三三九度は床入りのとき)

2.上棟式

・桑の弓とるや(弓八幡)

3.山の神講

・納めの謡 難波、四海波、長生(養老)

4.年男・年女の祝い

・(高砂)四海波

5.その他

・お正月、子供の誕生、葬式では謡わない。

今後の伝承

○これからの継承について

・敬老会、センター祭り。録音、ビデオ等で謡を伝える。