栗生流 謡いの源流を訪ねて
祝いの席での謡
上棟式 上棟式の流れと謡いの演目
栗生の上棟式は、東北地方に見られる基本的な流れを汲んでおり、準備は、上棟式の行われる吉日の数日前から始まる。
まず、大工の棟梁は、屋根の上に上げる破魔矢を作るため、当時から青葉区八幡町で布製品を扱っていた店「ほづみ」で吹き流し用の五色の布や、破魔矢の周囲を結ぶ紅白の紐など、必要な布を買い求める。
棟梁らによって、武者や吉兆にちなんだ図柄が岩絵の具で描かれ、直径2mほどに仕立てられた破魔矢は、五色の吹き流しと共に出番を待つ。さらに、桑の枝で作った弓に竹の矢を取り付け、屋根の上へ上げるものが揃う。
上棟式当日、屋根の上からまく餅や小銭の準備を建て主が行っている頃、棟梁は、新築の家の屋根裏へ納める「雛箱」の準備に掛かる。雛箱とは、諸説あるようだが、その昔、ある大工の棟梁が、自分の過ちから寸足らずに切ってしまった大事な柱を、娘の英知で見事に組み上げ窮地を救われたが、真相の発覚を恐れた棟梁は、結局娘を殺してしまったという悲話から、若い娘にちなんだ、裁縫針、木綿糸、鋏、口紅、人形などを入れた箱を作り、奉納するというしきたりになったものだそうだ。雛箱の裏には、建て主と棟梁の名前、上棟式の日付などが墨で書かれ、家の歴史を物語る記録として残された。
上棟式当日は、午前中に家の棟木を設置し、午後三時頃から大工たちの登場となる。大工たちは破魔矢と吹き流しを据え付け、桑で作った弓を竹の矢が鬼門(北東)を指すように置く。
その後、野地板を張った屋根の上に祭壇が作られ、塩、水、酒のほか、鯛が二匹と野菜や果物、一升の餅を二つに分けたものなどが供えられる。さらに、新しい木で一升枡を作り、その四方に鶴、亀、寿などの文字や蕪大根の絵を描き、米を入れて供える。この祭壇から、幣束(へいそく)がお膳に乗せられ屋根裏に雛箱と共に治められると、いよいよ謡である。
まず、棟梁(あるいは神主)が、お祓いの祝詞を読みあげ、建物の四隅の柱に隅餅を置く。謡のできる人が十人ほど屋根の上に上がり、破魔矢のほうを向いて膝をつき並ぶ。指名を受けていた然るべき人が、謡い出しの口火を切り最初の一節を謡う。その後、他の人々がこれに加わり、十人ほどの男たちの謡の声が、屋根の上にから周囲の空に朗々と響く。一曲が終わると、朱塗りの盃に注いだ酒を全員が飲み干す。上棟式でだけ謡われる「弓八幡」などの演目を含め三曲を謡い、三杯の酒を干したところで謡は終わる。三と三が合わさることは、「三々九度」の説明でも言われるように、奇数を揃え、先祖や家族、地域の人々との絆を強める意味があったのかもしれない。
その後、建物の四方に、塩、酒、餅をまいてお清めが終わると、いよいよ近所の人たちがまっていた「餅まき」が始まる。昔は、謡が始まると、「上棟式が始まったぞ!」と声を掛けながら子どもたちが門口から走って来たらしい。謡は、祝い事の始まりを寿ぎ、周囲に知らせる意味も持っていた。
男性だけが上ることを許された屋根の上からまかれるものは餅のほかに、建て主の齢の数だけ準備された小銭があった。建て主やその親戚の者、棟梁など数名が勢いよくまく餅や小銭に大人も子どももワァワァと声をあげて群がり、上棟式の喜びを多くの人々が分かち合った。
ところで、この時拾った餅を「焼いて食べてはいけない」ということが知られているが、子どもたちも、「家が火事ならないように…だよ」と聞かされ、神妙な面持ちで納得したに違いない。
こうして、餅まきで最高潮を迎えた上棟式の屋根の上の供物は破魔矢を残して下され、一階では建て主が大工や棟梁をねぎらう宴席が、お馴染みの「さんさ時雨」で始まる。祭壇に供えられた供物は棟梁が持ち帰ることとなっており、大工たちにも建て主から「ご祝儀」が渡される。
こうして、家屋の最も高いところに置かれる「棟木」を据え付ける祝いの儀式「上棟式」が終わり、また明日から、家の完成に向けた工事が始まるのであった。
旧丸長旅館(作並ホテル)昭和初期
栗生地区民家の上棟式の破魔矢