栗生流 謡いの源流を訪ねて

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厄払いの行事と謡、お囃子、わらべ歌等

チャセゴと歳重ね

一月十四日の晩、栗生では子どもたちが「アキの方からチャセゴに来した(来ました)」と言って、親戚の家や近所の家々を回った。この口上を述べ挨拶をすると、餅がもらえた。 蔵王町の遠刈田地区でも同じように、「アキの方からチャセゴに来した」と言って子どもたちが家々を回り、お菓子をもらって歩くという行事が二五〇年ほど前から続いているという。今でも名取地域には「チャセゴ餅」と呼ばれる商品を販売する店舗がいくつかある。県内産のササニシキを使い、中にトロリとした餡を包み込んで作られるが、餡は店に寄って、胡麻ダレだったり甘辛味だったりと微妙に違う。「たこうや」では、今でも餅にそのいわれを付けて販売しており、「チャセゴ餅」が単なる菓子ではないということが伺われる。

そもそも「アキの方」とは「福の神が住んでいる方向」という意味で毎年変わる。最近では、関西地方が発祥と言われる「恵方巻き」も流行しているが、この「恵方」と「アキの方」とは同じ意味のようだ。詳しく調べてみると、福の神の詳しい名前は「歳徳神」(としとくしん)と呼ばれる陰陽道の女神だという。  では、なぜ〝子ども〟が家々を回るのか?子どもは「穢れ」を識る年齢になるまでは、神に近い存在として考えられてきたのではないかと言われている。実際、七歳くらいまでの子どもが前世の記憶を語るという話はよく聞く。  このように「チャセゴ」は、子どもの姿をした福の神が新年を迎えた家々を訪れ、福を授け災いを払ってくれるという行事だったようだ。

また、栗生地区には「チャセゴ」にまつわる面白い言い伝えがあり、一月十四日の晩、子どもたちの行事に交じって、愛子の方から若い男性たちが、女物の襦袢などを着て唄を歌いながらやって来ていたそうだ。「子どもが福の神に扮する」のであれば「男性が女性に扮しても…」と思っていたかどうかは分からないが、当時、栗生では愛子を「まち」と呼び、拓けた処という認識があったらしい。この「まち」は、愛子駅を中心に広がる宿駅(旅の途中で、馬や人が交代するところ)であり、昔から、仙台から山形へ向かう人たちが、ちょうど馬を替える場所としても栄え、多くの人々の交差する場所だったようだ。年に一度、拓けた都会から、ちょっとやんちゃな若者たちがやって来て、栗生の若い娘たちと言葉を交わす…。今と違い、近親婚が多くならざるを得なかった昔の状況を鑑みれば、これも一つの「福の神」の来訪であったかもしれない。